iGJPM89cS0Gi1Em5kFFXB57p0bp

©サンライズ #逆襲のシャアより引用

【はじめに】
ガンダムシネマラリーで歴代ガンダム映画が再上映されたのでいい機会だと思い観に行きました。個人的にシネマラリーと銘打っておきながら35周年を迎えるF91が何故かスルーされているのが非常に気になるもののジブリやバッグトゥ・ザ・フューチャーのようにリバイバル上映が盛んになっているゆえ別の機会で見られることを望みつつ足を運びました。

逆襲のシャア自体は配信やDVDレンタル、レビュー記事の参考などで通して5.6回ほど見た経験がありますが、始めて観たのは地元の図書館での館内視聴でティーンエイジャーの時期だったのです。当時は作品に触れたのが初代PSゲーム『GジェネF』でゲームを通して物語の大筋は熟知していたのですが、映像で見ると全く違った印象を受けてしまい特にハサウェイが取ったある行動が衝撃的で理解できず、暫くは作品に触れること自体が億劫になるほどショックを受けたものでした。

その後に作品自体がメディアやスパロボ等のゲームへの露出が目立ち、目に触れる機会が非常に多く数年後にレビュー記事の参考のために何回か見てみたものの前述のハサウェイのある行いや、発言が電波すぎるクェスの言動から戦闘シーンやメカニック以外の魅力を見出し難く、そもそもが『1st』〜『ZZ』までの視聴を前提とした作りであったために感情移入しづらく避けていた点もありましたが今回は冒頭の語りのように劇場のスクリーンと音響で視聴することで、年数が過ぎたこともあって新たな見方も出来るだろうと考えて実際に目にしたところ、新たな発見があったので感想を記そうと考えた次第です。

なお、本記事は作品のネタバレを含む内容ですので視聴後に読むことをオススメいたします。

【あらすじ】
宇宙世紀0093…小惑星5thルナを占拠したネオ・ジオン軍はシャア・アズナブルの指揮によってチベットのサラに落着させる。シャアの目的は地球を寒冷化させ、人類すべてを強制的に宇宙に上げる事を画策する。
シャアの作戦を阻止するために動くアムロ・レイらロンド・ベルだったが、ネオ・ジオンは地球連邦の高官を懐柔し小惑星アクシズを手にし地球に落とす為に行動を開始し、ロンド・ベルとの激闘が勃発。
こうして、地球の命運を掛けたアムロとシャアの最終対決の火蓋が切って落とされたのだった…

【魅力的なメカデザインと描写】
昔からかなり戦闘シーンやモビルスーツの魅せ方などは評価されてきた本作ですが、実際にメカニックの装備や機能などはさり気ないながらも魅力的な演出によって販促としても十二分に機能していることは伺えました。
ミサイルやバズーカなど後年ではビームに比べて軽視されがちな実体兵器でしたが弾幕を張ったり、有線トラップのように使用したりなどバリエーション豊かな描き方が多く、後年のゲーム等で無視されがちなヤクト・ドーガの肩部ミサイルやリ・ガズィのグレネードランチャー等多数の武装を惜しみなく使用しており、ビームライフルやサーベルばかりの単調な構図にならない点は評価されていると思います。
ファンネルは一時期後年の作品で散見された包囲して一斉に射撃を行うワンパターンな構図になりがちな描かれ方ではなく、バリアとして使用したりミサイル迎撃によって絵的にも映えさせるなど、1つの劇場作品で多数の演出によるバリエーションが豊富でコンテの巧みさと飽きさせない工夫があり唸らされるものでした。

【様々なキャラクターの描き方】
本作はアムロ、シャア、ブライト以外のメインキャラクター以外は過去作から登場した人物を加えながら新キャラを加えての人間模様がドラマとして描かれており、それがメイン2人のスタンスと行動を際立たせており本作のキモとなっています。
ハサウェイは『Z』から登場していましたが本格的な人物像は逆襲のシャアから描写されたため、実質的には新キャラと言えるかもしれません。それぞれの描かれ方もさりげなく描写や伏線が仕込まれていたことから、見返す度に発見がある絵作りは見事だと思いました。
ナナイとチェーンはメインキャラ2人のパートナーでしたがそれぞれの描かれ方が対照的で、それにより互いの魅力が引き立つ形になっています。
ナナイは才色兼備でシャアの副官に近い立場に収まり公私ともに支えていますがある一幕では苛立ちとともにコップを床に叩きつける描写があり、シャアに愛情を向けつつも不満を抱いているのがわかります。
対照的にチェーンはアムロにはかなり親密に接するものの整備スタッフには少しキツイ対応を取ったりと少し2面性が伺えリアルな人物像が伺えます。
2人のパートナー描写の相乗効果によりシャアとアムロのキャラクターが深堀りされていたので、往年の富野演出と台詞回しには無駄の無さと洗練されたものを感じました。

ちなみに毒親や無能と称されるクェスの父アデナウアー・パラヤですが娘に対して最低限の気遣いは見せていたりロンド・ベルの活動を積極的に妨害したりしないなど風説よりは幾分ですがマシな人間に見えました。(現実の政治家はもっとヤバいのがいるのでw)


【戦争に振り回される子供達】
この作品にはクェス・パラヤという、今もなおファンの間で議論を呼ぶ強烈なキャラクターが登場します。彼女はある意味でこの作品のヒロインとも言えますが、愛のない過程で生まれ育った境遇と思ったことを直ぐに口にする直情的な気質故にアムロやシャアに父性を求めて状況をかき乱していきます。
対応するポジションにハサウェイ・ノアがいるのですが、彼は家庭環境が良好なためクェスと同じように感受性が高くニュータイプの素質を備えた少年で、若さゆえの暴走も垣間見えましたが彼女と比べると人格的に安定しており、終盤のある場面までは危険な戦場に出てまでクェスの説得を試みるなど善良な人物として描かれていました

ロンデニオンコロニーで偶然再開したシャアを射殺しようとするアムロから銃を奪い、ネオ・ジオンに出奔するクェス。そんな彼女の高い感受性に目を付けてNT専用の高性能MSを与え利用しますが、子供故に鬱陶しく自分に付きまとう彼女をシャアは次第に持て余すようになります。この点は後にアムロからも指摘されました。
ちなみに、筆者はこの感想を書く際に各種サイト等で登場人物のプロフィールを軽く調べてみたのですがクェスは13歳だったことに驚きました。ティーンエイジャー特有の潔癖さと感受性の高さ故に自身の破滅を招いてしまったのは悲劇としか言いようがありません。クェスは最後に真心から自分を気遣ってくれたハサウェイを庇ってチェーンの乗ったリ・ガズィの攻撃を受け爆死しますが、クェスを殺され完全に逆上したハサウェイはチェーンを撃墜してしまいます。
その行動が彼にとってトラウマとして焼き付いてしまい、チェーンの死因となったりさらなる悲劇に行き着くのはなんともいえませんね。
小説版では多少経緯が異なりクェスをあやめるのはハサウェイ自身になってしまいそれが『閃光のハサウェイ』につながるのですが同作の劇場版では映像作品の逆襲のシャアの続編になっているため少し混乱します。

【アムロとシャアの因縁の決着】
シャアは立体映像による演説で兵士達の士気を高揚させ、連邦政府高官の腐敗と浅慮さを見抜いてアクシズ譲渡の交渉を成功させる他、パイロットとしても前線で戦い、部下のフォローもこなすなど一見して完璧で高潔な政治家のように見えます。
しかしながらシャアに近いナナイや遠回しに彼の本質を見抜いていたギュネイからは割と辛辣な評価を受けているようでした。その上で同衾した数々の女性からララァと口にした寝言がギュネイの耳にも伝わっていたなど決して妄信的に支持されているわけでは無い描写がなされていました。
シャア本人も自分の行いを自覚してたようでまるで道化だと自嘲するような一言も告げていました。
しかし、あえてサイコフレームの技術を流出させあくまでライバルとの対等な決着を望むなど不器用でよくも悪くも人間臭い面も垣間見れます。
しかし、そんなシャアも自分に父親を求めるクェスを邪険に扱いながらもララァは私の母云々の台詞が今際の言葉になってしまうなど致命的なすれ違いを感じさせる対比は見事でした。
一方でアムロはララァの悪夢に時折魘される以外はチェーンというパートナーを得てロンド・ベルやパイロットとしての忙殺されつつもそれなりに充実した日々を送っているようでした。
アムロ自身の能力をある程度割り切っていてよくも悪くも兵士として振る舞っているようにも見えます。
かといってハサウェイともブライトと家族ぐるみの付き合いがあるのかフランクで友好的に接しておりよくも悪くもナイーブだった1st時代から当時(80年代)のヒーロー像を表したキャラクターに成長したともいえるでしょう。
一見して対照的に見える2人ですが根底では『1st』でララァを死なせてしまった件を引きずっており、互いの人生に暗い影を落とし最後のシーンでもその責任を罵り合うなどニュータイプとして優れた能力を獲得しながらも、互いに主張や確執が修復不可能な迄に行き着いてしまえば和解は難しいという、現実でのコミュニケーションを想起させるような苦い決着に落ち着いています。
後の時代を描いた『F91』にてニュータイプは不幸な人生を送ったとの台詞がありましたが、2人の末路を考えると実に的を射ており、富野監督のメッセージを感じさせるものでした。

【まとめ】
本作はガンダムファンの中ではかなり評価が高い作品ですが、自分の中では前述の理由やクェスのあまりにも強烈なキャラ性からあまり見返したいとは思わかったのです。しかし、劇場で改めて見返すと極めて高い情報密度と無駄のない台詞やモビルスーツのデザインや機能を存分に引き出した戦闘シーンに過去作の要素を絡めながらもアムロとシャアの最後の戦いをドラマチックに昇華した作劇は『1st』から続く因縁の終止符を見事に締める事に成功し、宇宙世紀前期の総決済なやふさわしい物語だと改めて実感させられました。